犬を飼うということ

2015年12月25日ペット

犬

犬を飼うということが意味すること

杉本彩さんが、「クリスマスにペットを買わないで」と訴えて話題になったのを機に、私なりの「犬を飼うこと」を珍しくまじめに書こうと思う。

初めての相方

私が犬を初めて飼ったのは、小学校6年生の時。

元々動物好きで、1年分の誕生日とクリスマスプレゼントとして犬を欲したのだ。

両親共働きで、ほとんどを家で一人で過ごしていた私を哀れに思ったのかわからないが、小さなメスのシーズを飼うことにしてくれたのだ。

まぁ、ペットショップ巡りをしていた母親の一任で決まっていたので、たぶん母親が一目惚れしたのだと思うが。

杉本彩さんの「クリスマスにペットを買わないで」という意見に反してしまって申し訳ないのだが、我が家は母親も父親も動物好き……というか、ある種動物そのものだったため、とても可愛がられてこの犬は育つこととなる。

話はそれるが、母はこの犬を「104歳で去年他界した祖母(私の曾祖母)の生まれ変わりだ」と言い、母の母である祖母に「私のお母さんにお手を教えるつもりなのかい!?」と、全く意図のわからない喧嘩をしていた。

 

そしてその犬が育つこと19年。

私が13歳の時に母が他界したし、高校卒業してからすぐに一人暮らしをはじめたので、下手をすると父よりも長くこの犬と一緒に過ごしたのであろう。

いつか来る日

長生きをすれば病気もするわけで。

晩年、このワンさんは「てんかん・心臓病・腎臓病・胃ポリープ・関節炎」とフルコンボの病状に襲われ、1ヶ月で30万ほど吹っ飛ぶ事態になった。

今でこそ、ペット用の高濃度酸素の機械はレンタルでも販売でもされていて、機械も小型化されてまだ安いのだが、当時は小型の集中治療室のようなものと酸素ボンベがレンタルされてくるという、物々しい有様で、レンタル代もとんでもなく高かったのである。

ある意味、この犬の老後が、自分が社会人になった後で本当に良かったと思う。

 

呼吸が楽になるならばと、この高濃度酸素発生器をレンタル。

安楽死を進める人もいたが(主に身内)、親兄弟より長く一緒にいた命相手に、その選択肢は選べない。

もっとも、耐えがたい苦痛が続く等であれば、話は別だが、呼吸器さえあればご飯も食べるし、痛いわけでもないとのことだったので。

ただ、3時間おきに遠吠えされるのがきつく、当時マンションだったため、上下左右に菓子折持って事情を説明しに行ったのも、今となればいい修行であった。

どうでもいいが、当時結構犬の介護が辛く、ぐったりとした犬を腕に抱いて夜明けの星空を見ながら決めたのが、今のPNの千夜である。
結構病んでたんだと思う。

何が言いたいのかというと……

そんなわけで19年一緒に暮らしたワンさんは見送ることとなったのだが、何が言いたいかというと。

 

命一つ預かるのは本当に大変だぞ

 

ということだ。

 

昔の人は庭先につないで、残り物のご飯さえあげておけばいいという者もいるが、その庭先につないでいるものは悲しんだり、喜んだり、人間を信頼することのできる命であると言うことを理解してもらいたい。

自分の命をつなぐためでもないのに、命をいたずらに庭先につなぎ止めることもない、飽きたからといってガス室で殺すこともないし、捨てるべきではないのだ。

あなたがお金で買ったものかもしれないが、ショップのケースに入れられているのは「本来、お金で買うべきではない、なのだ。

 

クリスマスにプレゼントとして、子どもの生涯の四分の一くらいを一緒に過ごす友として犬を渡すのは、私としてはやぶさやではないと思うが、そこに伴う重い責任と経済力、負担や覚悟を考えてからにしてみてはどうだろうか。

そして願わくば、ペットショップなどではなく、保健所や保護センターなどで救いの手を待っているワンさんやニャンさんを選んでくれることを。

そう、杉本彩さんは言いたかったんじゃないのかな……と、19年一緒に過ごした血のつながっていない家族の命日に思います。

 

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